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DROP(3月号) 「Top swingies Think」というコーナーに掲載の依頼があり、指導者の顔として田村晃子が取材を受けました。
【記事全文】
これからも ”好き” から学び続けたいですね。
幼少期から今日まで、一途に音楽を愛し続ける情熱女史。ピアノ講師を経て、2010年、一般社団法人 豊岡教育音楽学院を設立。ピアノに加え、育脳ベビーマッサージコース、人間力!マスターコース(茶道)まで多彩に指導中。彼女の音楽愛・人間愛はますます温かくなるばかりです。
音楽の中にひとを見つめて。 田村晃子(指導者)
◆ピアノと私とレッスンと、そして素敵な先生と。
親指が曲がったまま開かない状態で生まれた私は、間もなく親指の付け根の切開手術を受けることに。手術は成功し、指のリハビリに、と両親が習わせてくれたのがピアノでした。
近所のピアノ教室に通う小さな女の子はその後、音楽家として生きていくことを想い描きます。中学生の頃は毎週鳥取の先生の所へ、高校からは月に1~2回のペースで東京までレッスンに通いました。豊岡駅から夜行列車に乗り、翌朝東京に着く生活。よく続いたなぁと、支えてくれた両親に心から感謝しています。こうして音楽大学を卒業し、今指導者として私自身振り返って思うこと。それは、幼い頃に教わった先生の素晴らしさです。指使い、手の形、「手はピアノを弾く道具」とさえ厳しく指導いただきました。当時は理解できないこともありましたが、すべてが今に繋がっています。良き指導者との出会いは本当に財産ですね。
◆強引リサイタル
音大生活を終えた後、様々に選択肢はあったものの、父の熱心な勧めもあって帰郷を決意。豊岡で指導者になる道を選びました。「地元の子どもたちに都市部と同じ環境を作ってあげたい」その思いに駆られていたように思います。ただ、指導者としても経営者としても1年生。8畳1間にグランドピアノが1台。駐車場もなく、生徒は知りあいの方1人から。自分の原点として大切に心に留めています。
そんな手探りの指導者生活の中、私はリサイタルを開催しました。1100名のキャパシティに、周囲からは「やめておけ」とさんざん止められましたが(笑)、不安の中ほぼ満席。なんて有難かったことでしょう!これを契機に生徒も増え、今では感無量のいい思いでです。
◆負けて成長するということ。
指導者として、コンクールの審査員として、生徒と音楽を愛する人たちに伝えたいことがあります。けっして負けや挫折を怖れないで下さい。悔しかったり、悲しかったり。達成感や成長は、そういう感情の先にこそあるのですから。